日本の脱炭素経営の課題 ~危機感の違いが産む、世界との差~

2022.9.1

脱炭素社会

本コラムは、Daigasグループ エネルギー・文化研究所 情報誌『CEL』131号に掲載された、
(公財)地球環境戦略研究機関 松尾雄介(JCLPでは事務局長を務める)による寄稿記事を要約したものであり、発行元の許可を得て掲載しています。
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待ったなしの気候危機に迫られる経営戦略の転換


なぜ、世界が脱炭素経営へと舵を切っているのか。それは気候変動が人類のリスクと捉えられているからです。気候変動というと、猛暑や洪水などが及ぼす気象災害を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、最新の科学的知見を取りまとめるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)などでは、食料、健康、貧困、移住、紛争まで、幅広い問題を引き起こすと指摘されています【図1】。これは、もはや環境問題というよりは、社会の安定、人の生活の脅威であるとの国際的な共通認識ができています。

日本と世界の脱炭素経営01

出典:松尾雄介 『脱炭素経営入門 気候変動時代の競争力』 日本経済新聞出版, 2021, 34, 36-37, 93-93頁


2015年のパリ協定や昨年のグラスゴー気候合意を経て、危機回避のために気温上昇を産業革命以前に比べて1.5℃に抑える方向で世界が合意しました。背景には、気温上昇が1.5℃と2℃では被害に大きな差があることや、負の連鎖が始まる臨界点を超えないようにとの危機感があります。

では、どうすれば1.5℃に気温上昇を抑制できるのでしょうか。1.5℃に抑制するために計算されたCO2の累積排出量の上限の目安を「炭素予算(カーボンバジェット)」といいます。CO2は放出されると長期間大気中に留まるため、その蓄積量を加味して上限を課さなければならず、ざっくりいえばCO2の排出量を2030年に2010年比で約半分に、2050年には実質ゼロにしなければなりません。この実現のために毎年7~8%の削減が求められており、これは極めて厳しい数字です。喫緊、かつ大規模に取り組まなければ間に合わない課題なのです。

気候変動への危機感と、科学の知見に基づく削減の規模や時間軸(スピード感)、これが、世界の企業が脱炭素化に取り組む際の出発点です。この規模感・時間軸に整合する脱炭素ソリューションは今後成長する可能性が高く、投資に値する有望分野です。既に、再生可能エネルギーや、その不安定性を解消する技術・ビジネスに莫大な投資が行われているのはご存じかと思います。

脱炭素経営とは、規制に従うという受け身の取り組みではなく、企業価値を高め、発展させる契機であるともいえるのです。逆にこの点を見誤ると、後に投資や保有資産が不良債権化するなどのリスクが高くなります。つまり脱炭素化の転換期には、発展産業と衰退産業が明確に分かれていくということです。

日本と海外とのギャップはどこにあるのか


欧米が政府レベルで気候変動に対応するなか、日本の動きは、ここ数年で大幅に前進しましたが、それでも、1.5℃目標を踏まえれば、「やや物足りない」いといわざるを得ません。また、企業の取り組みも、海外勢の方が先行しているという場面もやはり多いように感じます。

では、世界と日本との違いは何なのでしょうか? 私見になりますが、それは気候変動が「地球温暖化」というやや牧歌的な言葉で呼ばれてきたことにも一因があると考えています。地球温暖化といえば、環境問題であり、「エコ」のイメージが強い。さらに「ひとりひとり」など、個人の意識にフォーカスした取り組みが目立ちます。個人の意識はもちろん大事ですが「小さなことからコツコツと」というトーンと、1.5℃目標に必要な規模感やスピード感には大きなギャップがあります。いかに社会の構造やビジネスのあり方を変えるかというシビアな視点が欠けてしまっているのです。

また、気候変動の基本的な情報が非常に少ないと感じます。例えば前総理が「2050年カーボンニュートラル」を宣言されましたが、そのときの論調は、誤解を恐れずにいえば「2040年以降にイノベーションを起こして2050年に達成しよう」というものでした。【図2】のデータを見れば、現状の排出量のままでは、あと10年以内に1.5℃のラインを越えてしまうことがわかります。これは、いくら2040年以降に削減しても、そのときにはすでに1.5℃のカーボンバジェットを超過してしまう、つまりは「手遅れ」であることを示します。この点を理解していれば、2040年以降のイノベーションに頼ることが誤りであることがおわかりいただけると思います。日本ではこのように、炭素予算などの基本的な知見が欠如した状態で物事が議論されており、それが海外とのギャップを産んでいると思います。

日本と世界の脱炭素経営02

出典 図:IGES作成. IPCC AR6 WG1報告書のカーボンバジェット(67%確率)に、Global Carbon Projectの2020-2021年排出量を加味


これは、メディアや環境分野に携わる専門家が、産業や生活の変化を強いるような痛みを伴う情報をあまり発信しないことが影響していると感じています。その背景には産業界からのプレッシャーも少なからずあるでしょう。私自身も、そういう経験があります。

日本全体にまとわりつく「モヤモヤとした懐疑論」


気候変動に関する正しい情報の乏しさ(及び誤った情報の氾濫)は日本人全体の意識に影響を与えており、【図3】のとおり環境科学への懐疑的な態度につながっています。また、脱炭素化の方法論に疑問を呈する意見が目立ち、例えば「日本は山が多いから再エネに不利」といった論調があります。しかし、日本は海岸線が長く、洋上風力の適地が多くあります。また、太陽光についても山を切り崩さずともまだまだ導入は可能です。実際、国際エネルギー機関によると、日本の洋上風力(浮体式を含む)の技術的ポテンシャルは、日本の総電力消費量の約9倍に上ると指摘しています。それらのポテンシャルを十分に活用すれば、日本の全電力を再エネで賄うことも十分可能です。

日本と世界の脱炭素経営03

出典:SAP “Toward a more sustainable world, A global study of public opinion” (Presented at World Economic Forum 2020)


もちろん懐疑論者がいるのは日本だけではありません。アメリカにも比較的多いとされますが、日本とアメリカを比較した場合、アメリカは懐疑論を唱える層が明確ですが、日本はもう少し弱い懐疑論が国全体をモヤモヤと覆っている感じを受けます。

最近では「ウクライナ危機で脱炭素化は後回しになるだろう」という論調がありました。しかしウクライナ危機で明らかになったのはロシアの化石燃料への依存のリスクです。緊急避難的に化石電源を活用する動きはありつつも、最もウクライナ危機の影響を受ける欧州各国では、エネルギー自給の観点から再エネ拡大を加速することになっています。実際、EUは2030年の再エネ目標を引き上げていますし、ロシアへのエネルギー依存が大きいドイツでは、短期的に石炭や原発で急場をしのぎつつも、2030年の電力における再エネの割合を、現在の2倍の8割にまで急激に増やすことを決めています。日本では、ドイツが石炭火力を再稼働する話は報じられても、再エネを8割にするということはあまり報じられません。

日本では危機感を刺激する言葉が嫌われる風潮があることに加え、正しい情報が伝わっていない結果、全体がやや懐疑的な方に流れてしまう。そんな構図があると感じます。

レガシーが合理的な意思決定の邪魔をする


認識のズレから衰退事業に投資してしまうような例もあります。つい数年前まで、日本の石炭火力発電は世界最高効率を誇るためCO2削減に貢献でき、脱炭素化のビジネスチャンスになるとされていました。日本の金融機関やシンクタンクも、パリ協定のあと「日本は高効率石炭発電で発停していく」という趣旨の論調を多く発していました。しかし最短距離で1.5℃目標を達成しようとしたら、建設後約40年も稼働してCO2を排出し続ける石炭火力発電を新たにつくるのは現実的ではありません。実際に2021年のG7サミットでは石炭火力の輸出支援を終了することが合意され、それを受けて日本がどうマーケットを閉じていくのか、世界中から厳しい視線が向けられています。

日本企業には優秀な方が多いと思うのですが、「投資対象を見誤っている」と感じることが多々あります。とくに日本は意思決定においてレガシーに引きずられる傾向があり、経済合理性や、工学的合理性、そして先ほどから述べている気候変動の基礎的な要件がおざなりにされたまま、議論が進んでいくことが多いと思います。そこが合理性を重んじる海外との大きな違いになっているのではないでしょうか。

脱炭素経営を推進している日本企業から見えること


日本の企業に求められているのは、科学的知見から得られるデータを冷静に受け止め、健全な危機意識を持つことです。そのためには気候変動の情報をモニターし、それをしっかり経営層に伝える体制を敷かなければなりません。Hondaの三部敏宏社長は、昨年4月に発表した経営方針の一部として「先進国全体で、EV、FCVの販売比率を2030年に40%、35年には80%、40年にはグローバルで100%を目指す」と宣言しました。この方針には炭素予算の考え方がしっかり組み込まれていると感じます。このように正しいファクトを経営層が認識すると、迅速かつ大胆な方向転換が可能になります。

JCLPに加盟している約220社の企業にも、経営層の認識改善によって取り組み方が変わった会社がたくさんあります。また、部課長級が本気で経営層に訴えた会社は、多少時間がかかっても、何らかの大きな変化が見られます。

なかでも私がとくに注目しているのが、エネルギーの超大手需要家の取り組みです。例えば、イオンが2018年に「脱炭素ビジョン2050」を策定し、再エネ100%に向けて舵を切ったのは社会全体に与える影響という意味でも非常に大きかったと思います。また、環境経営の推進を早くから打ち出したのは機器メーカーのリコーですが、投資家や顧客からの脱炭素要請の高まりを踏まえ、最近になってからも再エネ電力比率目標や温室効果ガス削減目標を大幅に引き上げています。これらの企業では、経営陣が正しくファクトを理解し、合理的な判断を下していると感じます。また、そういう正しいファクトを経営トップに伝えるミドルクラスの社員が、それぞれの役割をきっちり果たしているからこそといえるでしょう。

環境問題という先入観を外すとやるべきことが見えてくる


これから脱炭素経営に取り組もうと考えている経営者の方は、気候変動の意味合いと炭素予算を理解し、自社のやるべきことを的確かつ落ち着いて把握してください。注目されている方策に飛びついたり、他社の取り組みをそのまま真似たりするのではなく、社内リソースをとって状況を認識し、自社にとって適切なラインを知りましょう。状況把握に基づいて適切な意思決定をすることが将来の利益につながる。これは企業にとって、極めて当たり前のことではないでしょうか。

時代の変化に対応するのは、これまでも日本企業が幾度となく体験してきたことです。過去、紡績が主要産業だった時代から、現在の自動車産業への脱皮をはたしたこともそうですし、公害や石油ショックを乗り越えたことは、日本の強みに繋がっています。

「脱炭素は環境問題・社会貢献」という先入観を外し、いつの時代にも訪れる大きな変化の波に乗ると考えてはいかがでしょうか。つまり、世界のメガトレンドを読み、先行してよいポジションを獲った企業が成功するという単純な構図のなかに、脱炭素化を捉えるのです。

日本企業は古くから大胆な舵取りをたくさん行ってきました。日本の技術力、組織力を脱炭素経営へ真剣に投入したら、世界に大きな変化を起こせると確信しています。

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コラム「脱炭素社会とは? ~求められる理由と、実施すべき取り組み・課題~

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